SDGs朝刊特集 掲載記事アーカイブ

第8回 水俣に学ぶ

SDGs視点で熊本を再発見!

 「公害の原点」と呼ばれる水俣病。原因企業チッソが、毒性のあるメチル水銀を含んだ工場排水を不知火海に流し、汚染された魚介類を食べた人たちの健康被害や環境破壊をもたらしました。今も患者の苦しみは続いています。水俣市は現在、さまざまな環境保全に取り組んでおり、2020年に内閣府の「SDGs未来都市」に選ばれました。この地で水俣病の学習支援などに取り組むのが「環不知火プランニング」です。

 

公害を教訓に 広がる環境保全活動

 水俣市は1992年に全国で初めて「環境モデル都市づくり宣言」をして、23種類のごみ分別など環境改善への取り組みを開始。2008年に国の「環境モデル都市」に認定され、2011年には全国13の環境市民団体による環境首都コンテストで「日本の環境首都」の称号を全国で初めて取得しました。

 (一社)環不知火プランニングは2013年に発足した市民団体。水俣の地域と人が持つパワーに魅了されたというメンバーが、ESD(持続可能な開発のための教育)をテーマに、小中学校や高校、大学の児童、生徒、学生を中心に、企業や自治体なども対象とした教育旅行のコーディネートや受け入れをしています。プログラムは水俣病に関する学習支援、語り部の講話、水俣湾埋め立て地や環境モデル都市としての取り組みなどを視察するフィールドワークなど多岐にわたります。2021年までに教育旅行は533校、視察研修は475団体を受け入れています(オンライン含む)。

 「水俣病が起きた水俣ならではの学びを大切にすることが活動の原点」。代表理事の森山亜矢子さん(56)は語ります。

環不知火プランニングの森山亜矢子さん

 長崎県出身の森山さんは、東京で人材育成や販売の仕事をしていましたが、夫の故郷の水俣市で農業などをしながらのんびり暮らそうと2002年に移住しました。しかし、移住後に知ったのは水俣病の歴史と現状。「水俣病という負の遺産をなかったことにはできない。それならば富の遺産につなげられないか」。多くの人たちに水俣のことを知ってもらうことが大切だと思い、教育旅行などを始めました。

教育旅行では、水俣病患者や患者を支えてきた家族、漁師、ダイバーなど、さまざまな立場で水俣病や水俣と関わってきた人たちに話を聞く場を提供。交流や気付きの場となっています

 活動の中で工夫している点はさまざま。例えば、語り部の講話では水俣病の患者、支援者、研究者、行政担当者などそれぞれの立場の人の話が聞ける体制を整えています。少人数制の講話にすることで子どもたちが語り部に質問できるようにもしているそうです。また、フィールドワークでは水俣市環境クリーンセンターで23種類のごみ分別を体験してもらうなど、できる限り水俣の取り組みや生活に触れられるよう工夫しています。

教育旅行のフィールドワークの様子

 「水俣病を学ぶ際、最初に人々が関心を持つのは環境問題」と森山さん。その後、語り部の話を聞くことで人権問題や社会問題への関心が高まったり、水俣の人たちの生活に触れることで経済問題に興味を持ったりするといいます。「水俣」を学ぶほどに社会全体に視点が広がっていく。同じアプローチがSDGsにおいても重要で、多くの人に意識してほしいと森山さんは感じています。

 

水俣市環境クリーンセンターで、実際に水俣市民が行っているごみ分別を体験する子どもたち

 「SDGsを知っている人が増えた一方、17の目標の中で、どれか一つに取り組もうと思っている人が多いことが気になっています。最初の取り掛かりとしてはそれでいいのですが、一つの目標をゴールにするのではなく、そこから視点や取り組みをさらに広げていくことこそが本来のSDGsのあるべき姿ではないでしょうか」

 

水俣の海の今を全国へ

 熊本市出身で、現在は東京を拠点に水中写真家として活動する尾﨑たまきさん(51)。1995年から定期的に水俣の海に潜り、水中を撮り続け、写真集や写真展などで発表しています。

尾﨑さんが水俣の海で撮影した、タツノオトシゴの新種「ヒメタツ」の親子

 水俣湾には1974年、メチル水銀による汚染魚の拡散を防止するために仕切り網が設置されました。「初めて潜った当時、水俣の海は“死の海”と呼ばれていましたが、実際に潜ってみるとたくさんの生きものがいて、“この海は生きている”と強く思いました」と尾﨑さんは振り返ります。1997年、県は安全を宣言し、仕切り網は撤去されました。

 県外では「水俣の魚は食べられるのですか」と聞かれることもあるそう。「昔の情報で止まっている人や、水俣自体を知らない人に多く出会いました。だからこそ、今の水俣の海や、この海と生きる人々のことを知ってもらうためにも写真を撮り続けていきたい」と話します。


ココがポイント!

水俣はSDGsの原点

 SDGsのゴール4ターゲット7では、ESD(持続可能な開発のための教育)について記述。環境のみならず人権やグローバルな市民社会についても言及されています。これらを含むSDGsの原点には、1972年のストックホルムに響き渡った、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんの訴え、世界に向けた水俣からの声があることを忘れてはいけません。SDGsは新しい考え方や社会の未来に向けた課題を明らかにすると同時に、これまでの人類の歩みに立って、真摯(しんし)に学び、伝えることを求めているとも言えます。森山さんたちが水俣で取り組む多様な教育活動や地域の人材育成の姿は、そうしたSDGsの根本的な問いを、私たちに投げかけています。

 

EPO九州

九州地方環境パートナーシップオフィス

コーディネーター  澤 克彦さん

1975年生まれ、熊本市出身、熊本県立大大学院修了、環境教育NPOなどを経て現職。